ひどい時は毎晩罵り合い怒鳴りあってました。
毒親にもいろんなタイプがいると思いますが、うちは「ヒステリーvs酒乱」でした。それで子どもがどうなったかというと「高校中退引きこもりパニック障害うつ病」です。
そして本人たちは自分たちのせいで子どもがそうなったことを今更言葉に出して謝罪することもありません。
たぶん、お互い「自分のせいではない」と思っているのでしょう。
僕は、一生この事を言い続けると思います。親のせいでこうなったと。半年以上のカウンセリングを続けてきて見つけた答えがそこだったから、そして先日またその両親の喧嘩に巻き込まれ不安定にさせられ頓服を飲み始めたからです。
不幸かと言われれば、よくわかりません。幸いにも伴侶がいます。その伴侶でさえ、最近は僕の両親にイラだちを隠せない様子です。
「こんな事が頻繁に起こったらそりゃ不安定にもなる!」
と息巻いています。
そうなんです。こんな事が毎日起こっていました。僕が中学生のとき。来る日も来る日も喧嘩、喧嘩、喧嘩。飽きずに喧嘩。昔起こった問題を蒸し返してイヤミをいう母、酒を飲んでそれにキレる父、コップを投げ合い、声を震わせながら「お前は!何がわかるんだ!もういい!」と漫画のように怒鳴り、「このバカ!」と腹の底から声を荒げ自室に籠もる父。
自分の子どもを前にして、カミソリをもち風呂場に駆け込み「ここで死んでやる!」と水の張ってある浴槽に手首を漬けカミソリを当てる母。
そんなことが毎日毎日毎日起こっていました。自分が産まれたこの両親がお互いに罵り合うのは、自分の存在意義を失うには充分でした。
何もかもが怖くなり、死ぬことさえできずに自室で両親の喧嘩の音に耳を塞いでいました。
体がおかしいと思いはじめ、検査を受けました。どこがおかしいというわけではなく、何かがおかしい。検査では何も見つかることがなく、それでは落ち着かずに次の病院で検査を受けました。CT、MRI、たくさんの検査を受け続けても何もありませんでした。それでもずっと体がおかしいような気がした。
16歳のことでした。
その時は、検査を受け続ける行為に何の違和感もなく、どこかがおかしいから死ぬかもしれないとずっと感じていました。
あとから、それは精神疾患の一種であることがわかりました。
僕はコンビニや自分の好きなことのためには外に出られる広義の引きこもりでした。ですが、アルバイトなどで社会と繋がるのはとても難しかった。
それは今もそうです。仕事に就いては辞め、就いては辞め。怒りっぽかったり、すぐに気が滅入ったり、もうダメだとおもったり、朝足がすくんで動けなくなったり、泣き出したり。年をとればとるほど、症状は重くなっていきました。
焦りもありました。責任も感じました。同い年の人は同じところで働いて子どももいる。また辞めてイチから関係を築き直して仕事を覚え直して。環境が変わって疲れてることにも気付かず「この仕事こそは長続きさせる」と意気込んでも、感情が空回りして周りと溝ができそれに焦りさらに周りとの溝を感じ、次第に自分の殻を厚くして職場でも「やられまい」と殻に閉じこもり、そのうち逃げるように辞めていきました。
僕は自信がありません。人が信じられません。自分の存在意義がわかりません。大きい音が苦手です。人が怒ることに過剰に反応します。
これらは、両親の喧嘩の影響が全てです。学校でイジメにあいました。それも、今思えば自信のなさから偶然に招いた必然でした。
イジメが起こったのは偶然だったかもしれませんが、ターゲットが僕になったのは必然でした。自信がない人を狙う。
僕はたぶん小学校の頃から自信がなかった。毒親傾向が悪化したのは僕が中学生の頃でしたが、小学校、もっといえば幼稚園の頃からその片鱗はありました。
母親と父方の実家との間に軋轢が生まれたのが僕が幼稚園の頃。当時はその内容まではわかっていませんでしたが、両親がたまに険悪になるというのは子どもの肌で感じていました。
ずっとずっとずっと両親がお互いを傷つけ合うのを間近で見てきて、それを仲裁する役割を担い、あまつさえ「お前が学校に行かなくなったせいで仲が悪くなった」と言われることもありました。
違うんです。逆なんです。僕が学校に行かなくなったのが先なんじゃない。お前たちがその原因を僕に植え付けたから、イジメにあって学校に行かなくなったんだ。
イジメが先なんじゃない。その前にもっと原因があったんだ。
イジメにあった僕は学校にいかなくなった。でも、家にもいられなかった。両親と顔を合わせるのも生理的につらくなった。自分が産まれたおおもとを否定しあってるのだから、それは当然だった。
生活は昼夜逆転し、日の光を浴びる時間も少なくなった。中学を卒業して高校を中退すると、なぜか同じように夜遊ぶ人同士が集まるところによく顔を出すようになった。
僕にとってそこは唯一楽しめる場所だったし、完全に引きこもりにならないのはそこがあったからといえるかもしれない。
未成年だったけど先輩に連れられ深夜にカラオケに行ってお酒を飲んだりした。音楽が好きな人が多かったから少し怖い人がいるようなライブハウスにも行くようになった。
自分が少しだけ面白いと思える場所だった。
時間に遅刻して先輩に殴られてピアスが無くなったりしたこともあった。その時はバツが悪かったし、大通りだったからすごく恥ずかしかった。
でも、両親のいないところに居場所があったのは、今思うとありがたいところだった。
学校に居場所がなく、家にも居られない。でも引きこもるしかない人は、親と刺すか刺されるかの口論をして、ご飯は自室で食べることになると思う。
僕はその境にいた。両親から最悪の影響も受けたけど、それを一時でも忘れられる人たちがいたのは本当にありがたかった。
もっとも、当時そんなことは考えられずに、その居場所の中にどうやって居続けるかを必死に悩んでいたから、それはそれで不安定なことだった。
今でも独親に苦しめられて、今でもそれ以外の人たちに毒親の苦しみを緩和してもらってる。
息苦しさとか気分の落ち込みとか無駄にテンションをあげないと人と話できないとか大きな音が苦手とか怒る人に過剰に反応するとか、いろんな苦しみを毒親から植え付けられて、今すぐ親が死んだっていいと思ってる。むしろ「やっとあの喧嘩に巻き込まれなくて済む」と安堵できるだろう。もちろん喪失感もあるだろうけど、それでも安堵のほうが大きい気がする。
毒親の影響は計り知れない。親の口癖や行動の癖が自分にも出ることがあるから、親に似た自分の癖を感じるたびに自分を嫌いになる自分がいる。
たぶん、他の仲のいい家庭で育てばこんなことはなかったんだろうなと悲しくなってくる。
死ぬまで、こう言い続けることだろう。毒親に人生を狂わされたところから人生が始まった。