最近の精神状態について

スポンサーリンク


f:id:weviz7:20190601020919j:image

かなりスッキリしています。

 

新年度になったり令和になったりで、私生活も新しくなるためバタバタしていました。ですが、心の持ちようがだいぶ変わったので前より疲れに慣れた気がします。以前は四六時中誰からでも攻撃を受けている気分でしたから…

 

確かに気分はスッキリして、これまでとはだいぶ変わった気がします。でも、違和感を覚えます。これまで感じてきた事が、隅に追いやられる、そんな気がしないでもない。

 

イライラ、陰鬱、不安、恐怖、憤怒、そんな気持ちが心のほとんどを占めるなか、私は必死にもがきながら生きてきました。人に支えられ、それに気付かず無にして、また葛藤に悶えて。

 

必死に生きてきた中で考えたこと、感じたこと、体験したこと、身についたこと、たくさんあります。しかし、心の中で絡まった糸をひとつひとつほぐしてできた新しい心では、また新しいものが産まれようとしています。

 

その時、マグマに闇を放り込んだようなこれまでの体験は、新しい自分にとって異質なものに感じる気がして、これまでの頑張りを認めてあげられないような切なさを感じます。

 

これまでの人生すべてが詰まって今の私を形成しているので、ひとときたりともその記憶を隅に追いやる必要はないと思います。

 

ですが、新しい心の形にまだ慣れない今、新しい心の形をひとつひとつ作り上げていくためにエネルギーが消費され、過去の記憶をこれからに活かしていけるほどの余裕はまだ無いようです。

 

ひとまず過去の記憶は隅に置いて、今の心が安定してから過去の記憶とミックスさせていくのでしょう。そうであってほしいです。

 

自分の中にあるエネルギー、その源泉となるもの、そのひとつはマグマのような闇に染まった感情です。悲しい、悔しい、死にたい、負けない、そんな気持ちが自分を突き動かしてきたことは、むしろ誇りに思っていて、これらを消し去るつもりは毛頭ないのです。

 

ただ、今の心にとっては、少しだけどこかでゆっくりしていてほしい感情たち、そんなふうに捉えているのかもしれません。

 

もし感情自体に感情が存在しているなら、それらの感情も疲れていることでしょう。怒りは怒りすぎて、悲しみは悲しみすぎて。

 

心のありようが負のエネルギーだけでなくなった今は、負のエネルギーにだけ源泉を頼る必要が無くなり、いろんなところから活力を拾ってこれるようになりました。

 

だから、これまでの人生で一線を張ってきた負の感情たちは、少し役割を減らして休んでもらいながら、新しくできてきた心のかけらたちに、生きることとの向き合い方を問いかけ、共に考えていってほしいものです。

 

それと、そうですね、負のエネルギーというのは少しロマンチストである気がします。だから

負のエネルギーが休んでしまうと、現実の熱に火照った地面に、急に足をベタッとつけすぎて体が焦げ付きそうな感覚があります。

 

人生を捉えるときは、少しだけロマンチックであってもいいのかもしれません。それが現実の熱さを和らげてくれる靴の役割を果たすなら、せめて世間という外を歩くときくらい、履いていても、いや、履いているくらいがちょうどいいのかもしれません。地に足が着きすぎると火傷してしまいますから。