僕は常に、迫り来る誰かの言葉に追い込まれて、怯えています。ずっとです。ずっとずっと。幾重にも重なる誰かの言葉に右往左往して、潰れています。ずっとずっとずっと。
人様を見て、よく生きてられるなぁと思います。というか、残念ながらよく生きてられる人しか世の中には見かけないんですよね。
生きてても社会が困惑しそうな人は、それ相応の理由をつけてどっかに放り込まれてるわけです。頭がおかしいとか、病気であるとか、菌がうつるとか。
社会が良くなってくのは、自然なんですよね。なんてったって弱いものは淘汰されていくんですから。
僕がこれを書いて何をしたいわけでもないんです。なんか書けば気が晴れるかなぁと思っただけです。だって、おもてを歩けばみんな一応元気に見えたりするんです。
僕の周りではあまり暗い話を聞きません。そもそも友達もそうそういないんですが、それとなく話す人たちはそれなりにうまくやっているように見えます。
僕は、それを聞いて「いいなぁ、すごいなぁ」っていいながら、心が枯れていくのを感じます。
人は褒められて悪い気はしませんから、すごいって褒めるのは自分なりの処世術かもしれません。でも、その言葉を放つ度に、「また置いていかれた」と感じます。あっちで置いていかれて、こっちで置いてかれて。自分の心は枯れて。
そしていつしか自分は自分を信じられなくなりました。人より頑張れるキャパシティが足りないんだ、どれだけ頑張ったって。
僕は人と比べるしか自分を測る術を知りません。自分がこれが好きだから、これだけ頑張ったから、ということを実感したことがありません。言葉では理解したように言えますが、心から実感したことは無いように思います。
本当は、自分を心から認めてあげたいんです。どれだけ小さいことをやったって、頑張ったねと言ってあげたい。でも、他が気になってしまって心からの祝福を自分に送れない。とても悲しいです。
このまま年をとって死んでいくと思うとゾッとします。僕は誰の人生を歩んでいたんだろう。死に際にそう振り返るのは、悲しいことです。
産まれた直後に亡くなる赤子ほど、運命から程遠い存在はありません。その存在を自分で感知する前に無くなってしまう。誰の人生を歩んでいたのか、それを考える暇もなく。
僕らは常に死に向かってつま先を向けているので、いつそれを迎えてもおかしくないんです。死を迎えた僕らは、果たして「置いていかれた」のでしょうか。それとも「置き去りにした」のでしょうか。比べることもできません。
それでも僕は、日々、人から置いていかれている気がするのです。どこから、どこに向かって?どの地点から置いていかれてるのかもわからず、ただ置いていかれた気がするのです。
人様をみると、よく生きてられるなぁと思います。僕は、何に感心してるんでしょう。悲しくなるんです。