みんなで一歩ずつの罠
最近チームで作業をすることが多いのです。そうすると、当然でてくるのが「力の差」。同じことを指示されて同じことをやっているのに、きちんとできる人と見当違いのことをやる人が出てくる。
そのチームメイトとして感じたことが今回のお話。
キレイゴトでは済まされない
私は以前からずっと「みんなでやろう、わからない人もついてこれるように進めよう」というのが信条でした。
いじめられた経験があるので、誰かを置いていくのは心苦しいのです。いま出来ない人も、目の前のハードルさえ超えればできるようになるかも知れない。そこには大きな希望があります。
しかし、「そうはいかない」と感じることが最近多くなってきました。
理解してない人は初めから理解できてない
いまやるべきことをわかってない人は、初めからわかっていない確率が高いように感じます。
言い換えれば、段階を踏んで教えてきたことを、その人ひとりのためにまたイチからチーム全体の時間を使って教えなければならない。これはチームにとって大きな時間のロスです。
もしくは、その人に教えるためにすでに仕事をわかっている「できる人」を、その人に付けて教えながら進めなければならない。これもチームにとって大きな人材のロスです。
特に納期が厳しい仕事となれば「時間×人材」が顕著になってくるものです。そのどちらも奪う可能性のある「できない人」というのは、キレイゴトでは済まない存在なのかもしれません。
うまく回すのが組織なのだけれど
「いやいや、そういう出来ない人達もうまく活用するか教育するのが組織ってもんでしょ?」
確かにその通りだと思います。それができればどの組織も健全に育つと思います。しかし、それができない組織が多いのも事実。
個人の力量が問われる小さな会社では、教育体制も個人に委ねられているでしょう。そんな中で、できない人が入ってきてしまっては大きなロスになります。
ただし、これは「今まで全員肩を並べて進もうを信条としてきた人」が「キレイゴトだけではやっていけないかも知れない」と痛感したことを書いているだけなので、物事の一面しか捉えてないことは重々承知しています。
もし機会があれば、自分自身でこの記事に対する反論を書いてみたいところです。