中学でいじめにあって不登校になった人がまだ生きている理由

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クラスの人が大勢いる中で、ぽつんとイスに座っているぼくに向かって物を投げる

それを見て投げた人と同じグループの人が笑っている

その他の人の顔は恥ずかしくて見られない

ぼくは黙ってうつむいて、体に物が当たる痛みと、嘲笑の的になっている心の痛みに耐えていた

 

視線の端に、僕の好きな人がいるように見えた

見ないで 見ないで この姿を見ないで お願いします

 

「中学」で「いじめ」の絶望

 

「孤独」

その時わたしを悩ませていた言葉はこれでした

 

孤独は、諸刃の剣です

とても強いけど、とても弱い

ひとたび傷付けば傷は深くなり

孤独に侵された人は過激になります

それでも孤独でした

 

わたしは中学を卒業して10年以上経っています

それでも、いじめを受けた心の痛みは何ら癒えていません

 

時が経って、皮が厚くなっていくように、傷口は普段見えないようになっています

しかし、皮をはがせば傷はまだまだドロドロしています

 

これはいじめにあった人間のその後の姿です

今でも中学の人間に会ったら殺意が湧くでしょう

当時と同じようなノリで軽くバカにされようものならどんな手を使ってでもその場で殺すでしょう

自分が刑務所に入ろうと、なんだろうとです

 

いじめにあった理由

 

弱々しく見えたのでしょうか

標的にしやすかったのでしょう

 

幼少より両親や親族のケンカが発生していて

わたしはその仲裁役のような立場を知らず知らずにとっていました

自分の意見はひた隠しにして、親の笑った顔が見られるよう、おどけてみせたり、自分を笑いものにしてきました

当時はそれでよかった、親が笑った、親戚が笑った、それだけで安心できました、この家庭はまだ大丈夫

 

でも、おそらくそういう立ち回りがわたしを頼りなく見せてしまったのかもしれません

それが、たまたま誰かを標的にしたい人々に見つかってしまったのかもしれません

 

しかし真相はわかりません

 

いじめにあった時の気持ち

 

その時は感情を言葉にすることができませんでした

ただ、頭が真っ白になって何もできず、驚いていたと思います

 

それがいま考えれば、「恥(はずかしい)」だったのでしょう

自分がクラスの隅で笑いものにされているのをクラスの人が見ている

好きな人が見ている

今まで自分ですら気にも止めなかった「自分」という存在が突然さらし者になっている

こんなに弱い存在だったのかということをまざまざと突きつけられた瞬間でした

 


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中学を卒業したあと

 

以前も書きましたが、それで中学が不登校になったあと、高校をすぐに中退しました

そして毎日泣きながら、わずかな趣味の活動をしていました

少しだけアルバイトもしましたが、どれもほぼ続きませんでした

 

中学で不登校になったけどまだ生きている理由

 

正直10年以上経ってもまだ心の整理がついていません

 

ではなぜ生きているのかというと、死ねなかったから、とわたしは答えます

 

死ねなかったら、いつのまにか、何かできることを探したいと思うようになりました

 

それが、今いじめに悩んでいる人が、一人ではないと知ってほしい、そのためにブログを書くことでした

 

 

そして、まだ生きている人がいるということを伝えたかった

 

死にたいと思ってると思います

無理やり学校に行かされているかもしれませんし、逃げているかもしれません

耐えているかもしれませんし、明日やり返そうと思っているかもしれません

 

どう転んでもあなたの決断は間違いではありません

他人や自分を傷つけることはおすすめできませんが

それくらいの深い感情を持って決断した行動をあなた自身が責める必要はありません

世界でたった一人になっても、自分だけはその決断をほめてください

 

なぜならあなたは孤独の中で大きな決断をしたからです

感情が整っていない中で、一人で大きな決断をするのは大変な勇気とエネルギーがいることです

あなたはそれをやった

その事実を誇ってください

 

人生は準備不足の連続

いつも手持ちの武器で戦う術を身に着けておこう

これは好きな漫画の好きな登場人物が言っていた言葉です

 

万全で挑む、というのは試験など期日が明確になっているものに挑むときだけです

人間関係で起こる問題は常に誰もが準備不足です

その中で自分が下した決断は、その時の最善です

例えあとから後悔したとしてもです